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-----Link00:過去〜これから

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-----Link02:キーワードを探して


■定例研究会 Report

教育定例研究会で議題を提示しました。出席の方々よりいただいたご意見や、新たな視点などを、報告というかたちでまとめました。上記indexは関連ページです。ご参照ください。Link00〜02は、未整理なかたちですが、キーワード探しのためにメモとして集めたリンクです。


日時:平成16年6月19日(土)、16時〜18時

コンピューターは、
ひとは、
何ができ、何を学ぶのか。
デザイン教育へのコンピューターの導入によって、
今後一層新たな授業のあり方を考える必要が増すことは、
避けられないのが現状です。

わたしたちは、新たな道具で何ができ、新たな道具に何を教えるのか。
「ツールとして導入されるコンピューター」たる認識からしばし離れ、
わたしたちが、今何処にいるのかを改めて考え、
現況の再認識の為の「新しい視点」を探すきっかけを作りたいと思います。

*研究会では、リンクにあるChartをご覧戴きました。


■出席者から出た、意見や感想の概要

時間軸にそって、列挙しました。文章にするにあたって、注釈としての補足や多少言い回しなどに手を加えております。また、文意などに誤解がある場合もあります。これに関してご意見、ご指摘いただき、修正してゆきたいと思っております。
ご了承ください。前半は主にパソコン教室管理や、私の仕事の内容についての質問でした、後半コンピューターの導入による現状の再認識のための「新しい視点」探しについて出た意見や感想の概要です。


線を烏口で引くのか、コンピューターで引くのか(の違いについて)コンピューターができることは、人間がしなくてもいいのだろうか?それでも人間がすることで獲得してゆけることがあるのではないだろうか。喜びや発見を得て行けなければ人間は退化してゆくのでは?結果は同じでも、手間暇かけて身体を使ってすることで得られる何かがかあるだろう。自分の身体を自分でコントロールする喜びってあるのではないか。


最近、水彩画タッチだとか、様々な〜風にできるツールがある。本当に水彩画みたいに。かつては教育の中ではプラスティックはプラスティックとして、木は木として扱おうとしてきたけれど、技術革新によって木材の柵だと思ってけっ飛ばしたものが樹脂だったり、どう見ても木にしか見えないようなものも出てきた。木材のイミテーションなどは、イミテーションの細胞までが木材のイミテーションとなってきて笑えなくなってしまった。イミテーションは、イミテーションとしての意味や意義があって、「木材のイミテーション」を超えてしまっているのでは。


コンピューターで何ができるのか、何をしていってほしいのかを考えてみる。手で描くことのできる絵に「似せる」ための技術ではなく、今までにない芸術を生み出すために使っていってほしい。人間の「手」で描くことは出来ない、今までに見たことのない、芸術を見たい。


能率をあげること以外に、コンピューターにできることはあるのだろうか?救急ロボットや人間の命に関わることは、変わりにこんぴゅーたー ができるだろう。他に人間にできないことって何だろうか・・・・?


教育という意味では、デザインワークとアートワークをわけて考えなくてはならない。デザインには能室や効果などがつきものではある。教育の中で、手描きで線を描かせる意味は、その作業の中からどれだけの情報を得ることができるかどうかにあると思う。
東京から京都まで、山越え谷越え歩いてゆくことと、新幹線や飛行機で行くことの間の、五感に関連する情報量の違いは歴然である。デザインワークが中心となるならば、おのずとコンピューター中心のようになってゆくよね。


コンピューターの線って、起点と終点の信号を送ってできるだけのバーチャルの世界。図面をCADで引くようになってから、構造上の欠陥が多くなったらしい。手描きの図面で結合部分を描く時には、さんざん構造上の検討も必要にならざるを得ない。CADであると、起点ー終点を指定すると結合できてしまうから。


これまでの人間の技に大きな変化はないと思う。新しい表現のためには、どのような技の習得が必要なのか、どのように技を組み合わせて行けるのか。
起点と終点をプログラム上で繋いでいるヴァーチャルな状態を、どのように理解するのかが重要になってくるのでは?


教育について考える時、企業で行われる教育と、大学で行われる教育がだんだん同様になってきたと思う。企業の教育はモノをつくるために人間にする、大学の教育は人をつくるためにモノをつくる。モノとは・・・何のためにやるのだ?何をやるのか?について内容についての研究だ。何を教えるのかについて、方法について疎かになってしまっていないだろうか?


スポーツのようなルールを作らないと、話ができないだろう。

1,どのような表現の場を選ぶのか 
2,人間がどのような人生を送るのか
例えば、人生や効率を考えたとき、わたしたちは文句をいったりはしない奴隷として、機械を使うことをルールとしている、