背後に感じるカオス、闇に沈む森を抜けると、そこは整然と並ぶ梨の樹林、そして目の前には毎朝通う街路樹が続く・・・カオスの中では気づかなかった、果てしなく連続する植物の形と営みにリズムや音楽を感じるのはどうしてなのだろう・・・。
1998年に『造形ノート』(*1)を知り、それから7年ほど経ってから造形ノートが発展した『arsnote』(*2)に再び出会いました。造形プロセスはアーティストにとって言語化することは難しい抽象的なものであることが多く、情報の共有によって前へ進もうとする科学や音楽などの歴史と異なって、再現性のあるプロセスの記録はテクニックに関する事に限られてきたように思います。arsnoteの一部である『複合的対称性に関する構成モデュールと配列表現』(石垣 健 :形の科学会誌 第20巻 第3号 2005掲載)は、造形表現のための新しいモジュールを記述したものでした。理由は判らないのですが、複合的対称性に魅了されて、色や形、リズム表現を試みてきました。いまだに何故だか判らないのですが、自然の営みや植物などの見え方が変わっただけでなく、造形プロセスの記述と再現について考えることは、ささやかな日常生活の捉え方の変化にも繋がっているように思います。
コンピュータの登場によって、情緒的な記憶のないプロセスの記述が残されるようになり、アーティストはそれを共有し、個人を超えた同世代による、より新しい造形表現を模索できるようになりました。プログラミングのテクニックは未だに誰もが身につけられるものにはなっていないからこそ、より多くの人に参加できる方法を思考する動きも確実に広がっていると感じています。
私自身はアナログ思考でモノを創り、典型的な美術教育にどっぷりつかった思春期〜青年期を過ごしてきたので、今更デジタル思考でモノを見ることが出来るかといえば難しいと感じています。アナログベースでデジタルを通した見方が出来れば面白いんじゃないかと・・・。人間の感性や心はサイエンスでは解明できない混沌と不思議に満ちている、そう信じていたいのですが・・・。
とてもアナログな絵描きが、サイエンス的な視点や造形プロセスに触れた時、自然や日常のささやかな変化がこんな風に新鮮な驚きを持って感じられることを、自然の物語に添える挿絵のように描けたら面白いと思うのです・・・。白い紙ににじみ出てくるイメージをただそこに留めてみようと試行しています。